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2007/08/27

『みんなの災害体験談を教えてくれ』ってことだけど...

ホント久しぶりにトラックバック野郎。
お題は『みんなの災害体験談を教えてくれ』。

地震を防ぐことはできないかもしれないが、対策をしておくことで被害を小さくすることは可能だからな。みんなの経験や知識を寄せ合って、お互い助け合おうってぇことよ。

大した体験はしてないんだけど。

9月1日は防災の日...だったけど、学生のうちは夏休み明けだから何をしたっ
て記憶もなく。

実際に防災を考えるようになったのは、やっぱり中越地震の後。


地元を離れ、大学時代を長岡で過ごした身としては、非常につらいできごと。
すでに社会人となり東京にいたわけですが、その瞬間は飯作ろうと寮の自炊場でお湯を沸かしていたところ。

窓を開けていたら遠くの方から「ゴゴゴゴゴ...」と大型トラックが通った時のような地鳴り。
何事かと外を覗いた瞬間、大きな揺れが。
確か、23区内では震度4だったはず。

ポイント:地震が来たら、火は直ぐ消そう

こりゃ大きいなぁと部屋に戻ってニュースを見てみれば、中越地方で大きな揺れと
か。
とっさに長岡や小千谷の知り合いに電話をするも繋がらず。

気が気でなく、ひたすらダイヤルし続けてた記憶が。
小千谷の知り合いに連絡が取れたら取れたで、現地からは電話をかけることができ
ないため、東京から家族の安否を確認してくれないかとのお願いも。
結論からしてみんな無事でしたけど。
知り合い全員に連絡付けられるまで17時から22時近くまでかかったなぁ。

ポイント:災害時に繋がりやすいのは電話よりもメール。 運よく電話が繋がっても、用件は簡潔に。 ほかにも電話を使いたい人は山ほど居ます!

現地ではぜんぜん情報が途絶えてしまっていて、むしろ都内のほうが報道各社からの情報が得易いという状況。
地震が起きて直ぐに夜になってしまったため被害状況もわかりにくく、また、現地の人たちは真っ暗な中で過ごしていた模様。
翌朝のニュースで見た映像は、想像以上に被害が大きかった...


もう、居ても立ってもいられず、テントやストーブなど考えられる装備を積んで、赤兎で中越へ。
関越道と17号は使えないという情報は得ていたので、事前に考えられる限りの迂回路を把握。
水上までは関越で、そこから先、三国越えで新潟県入り。

ルートは割愛するけど、17号、117号を横切り、柏崎から北回りで長岡入り。
結局、だいぶ遠回りしたっけ...


長岡に入った時はホントびっくりした。
どこもかしこも全く明かりがついてない。
街灯も信号も、家の明かりも。


その後1週間弱居たけど、ワタシが経験した大きな余震は3回。
宿を借りてた昔のバイト先のコンビニで寝ている時。
ボランティアをさせてもらって、ある避難所にいたとき。

いずれも震度5。
避難所で遭った時には、鉄筋コンクリートでできているはずの小学校の校舎、その廊下の壁が目を疑うほどしなった。
これが一番忘れられない。
被災地の人たちは、こんな地震を短時間のうちに何度も経験してるんだと思うと、その恐怖は計り知れない。
避難所の人たちの顔色が、それまでと全く変わっていたし。
大きな余震が少なくなっていて、精神的に少し余裕ができた頃の事だから尚更だったのかもしれない。
でも、コンクリートの壁が風に揺れる樹木のようにしなるなんて、ホントに信じられなかった。
あれは理屈抜きで怖い。


現地の人たちに比べれば大した体験とは言えないけど、コレがきっかけで社内の防災委員に任命されたし、少しは防災を考えるようになったなぁ...
住んでる寮が見るからに地震に堪えられないってのが今一番の懸念事項。

中越地震の被災地から帰ってきたら、非常階段下のコンクリートの三和土にヒビが入ってるんだもんなぁ...
壁の裏側、一体どうなっている事やら。

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